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だいもんてつじのみなよろし!                  ~越前大野のお坊さんブログ~

浄土宗寺院善導寺の副住職。父として、ミュージシャンとして、ランナーとして、僧侶として、ふるさとを愛するものとして、子供たちに恥ずかしくない「日本」を残したいものとして、日々をつづります。

2019-03

お坊さんのくせに恥ずかしい

自分の淹れるコーヒーの方が、妻の淹れるコーヒーよりも美味しいと思う
自分の運転の方が、上手いと思う

料理は妻の方が断然上手

こだわり、執着、譲れない、我執

恥ずかしい
認識しかできていない
でも、認識できている

克服したいな
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自傷行為について

自傷行為をよく起こしていました
似たものだと思うのですが、今でも癇癪を起こします

いつ頃からあったのかなぁ?
自分で自分を傷つける、自傷行為をよく起こしていました。
中高校生時代、勉強が頭に入ってこなかった時
机に頭突き
ゲームボーイ(懐かしいな〜)でうまく行かなくて、画面に頭突き
…確か、二台壊して、もうゲームボーイ自体をやめました

社会人になって働き出しても、付き合っていた彼女が気に入らないことをすると
壁に蹴りを入れたり、頭突き、殴っていたりしました

ああ、大学生の時に寝床の横の壁に穴を開けてしまって、最後の引き渡しの時に
「敷金が減るね〜」って話をされたのを思い出した

カッターで自分の指を切って、血を出したり
タバコの火を自分で当ててみたり

いまでも衝動的に物に当たったり、壁を殴ったりもします。

なぜそんな行動を取ってしまったのだろう?
「思い通りにならない」のは執着や期待が大きいから、その反動
「なんでわかってくれないんだ!!」って
目の前の相手を殴るぐらいなら、壁を殴って意思表示
ドアを強く音を立てて、「この気持ち、思い知ってよね!!」って感じです

なかなか、幼いな〜我ながら(笑)

子供の頃はちょっと違っていて、「僕は、これだけ頑張っているんだ!褒めてよ!気づいてよ!」って寂しさから来ていたのかもしれません。
じっくり、自分の自傷行為、衝動が起こることを内観してみるとそんな気がしてきました。

それだけ、普段から「寂しい想い」をしてきたのでしょうか
きっと、そうでしょう。子供としては、親にしっかりと「私自身」をみて欲しかったのだと思います
大切に扱われてこなかった、ということは、決してないのですが。

大切なことに気づいた、という話でした

暮らしに活かす仏教 3回目

知恩院で行われる節分は変わっています。
追儺式と言うのですが、「鬼は外!」は言わなくて、「福は内!ごもっとも!」と言います。
ごもっとも!と聞くと、羽黒修験の山伏さんがおっしゃる「うけたもう!」という言葉を思い出します。
先達は魂が感じられる場所に行者を連れて行く
そのひらめきに対して、「うけたもう」
頭を通して、あれこれ考える前に「うけたもう!」と受け入れる
予定やスケジュールでない、ひらめきに身をまかせる、受け入れることで気づきがあって、腑に落ちる

人はみんな、好き嫌いがあります
これを仏教では、三毒煩悩の貪(とん)と瞋(じん)といいます。
好きなものはいくらでも欲しくて、貪る
嫌いなものはできるだけ遠ざけておきたいから、瞋(いかる)

いい人いい雨いい天気 みんな私の心がきめる
とか
憎い人など一人もいない 憎いと思う私がいるだけ
と言う言葉があります。

自分の好みや時代の価値観、生活環境が作り出す世界観でもって、好きや嫌いを決めています
けど、その価値観もちっぽけなものです
父母の命をいただいて、動植物の命をいただいて、自然の営みに右往左往して、体内の仕組みなんかすべて解明できているわけでもないのに、「わかったつもり」の顔で生きている、「これこそ正しい」価値観で生きている、それが私たちではないでしょうか
様々なおかげさま、恩、営みが複雑に、偶然に、完璧に絡まって私たちが「今、ここにいる」ってことがわかっていない

これが貪瞋痴の痴(ち)=愚痴の煩悩です。

いろいろ頭考えすぎなのです
過去の失敗や成功を覚えていて、それを未来に当てはめようとします
それだと「今」感じるべきことを、取りこぼしてしまう
「今」が過去や未来で埋まってしまう
そこで、教えてくださるのは「わかったつもりであれこれ、考えを巡らすのではなくて、仏様に心を合わせなさい」ということです

「南無」という言葉は、帰命します、おまかせしますという意味です
簡単に言うと、「心を合わせる」です

「南無私」が自分の考えに凝り固まって、好きや嫌い、先祖が繋いでくださった命の連鎖の先っぽで小さな価値観を振り回している状態です
「南無自分以外の誰か」って状態もあります。誰かに憧れすぎて、思考や行動まで真似しちゃっている状態。
そんなものの考え方を、大地自然の営み、宇宙にこもった働きまで広げようと言うのが「南無阿弥陀仏」であり、「南無大師遍照金剛」、「南無妙法蓮華経」、「南無釈迦牟尼仏」なのではないでしょうか
大局で物事を見ると、囚われていた些細な出来事がどうでも良くなったりします
逆に、聞こえてくる小局の言葉もあるはずです
小さな悩みがどうでもいいと言うことではなくて、「こだわりが苦しみを生んでしまっている」状況からは、離れられるはずということです。

そこには仏様がいらっしゃる
神様がいらっしゃる

念じ祈り続けることで、その慈悲を私たちもいただける
そのうち、こだわりも溶解していくのです

暮らしに活かす仏教 2回目〜全5回〜

春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら


私は、この歌詞の「咲けよ咲けよと ささやきながら」の部分に
神仏の私たちに対する、働きを感じます

尊敬するお坊さんの本にこうありました

厳然と働いている天地、大自然、大宇宙にこもりこもって働いておってくださる、そのおん計らいをどんどん遡っていくと、私達人間の知恵、知識にはおさまらんけれども、お経の上には西方極楽浄土、そこから阿弥陀親様が私達の身の上に働きかけておってくださると、お釈迦様はおと説きになった。(要約)

気づかなければ、いつまでも気づかないけれども
すぐここまで、私たちの手元までその「働き」は届いているのです

こんなことがありました
北海道からお墓まいりにいらっしゃったご家族がありました
「山田何某のお墓はありますか?」という希望に解る通り、檀家の方ではありませんでした
大野のお寺だという記憶を頼りに、聞いて回ってたどり着いたと
確かにお墓がありましたので、支度をして墓地へ
戒名を書き留めると、命日は3日前、しかも丁度13回忌に当たる年でした
お勤めを済ませた後、そのことを伝えると、なんと全くもってそんなつもりでいらっしゃってないということ
そんな偶然があるのでしょうか?たまたま、休みと飛行機のチケットが取れて墓まいり

「ああ、お墓まいりして欲しかったんでしょうね、導かれたんですね」としみじみ話しておられました。

これが、「日頃の行いが良いからだ!俺が、わたしがすごいんだ!」とならなくてよかったです

見えない働きに気づく。
私たちは、見えている世界が全てだと思いがちです。
理解できることだけが全てだとも思ってしまいます。

理解できないことは、間違っている!おかしい!
見えないことは、あるはずがない!

それって、違いますよね
つながりの中でしか、生きていけないのが私たちです。

先祖、親、友人、家族、嫌いな人間とも繋がっているのです
同じ太陽の下、季節の営みに翻弄されながら、時には「災害」という自然の働きを目の当たりにしながら、その働きの中で生かされているのです。

そこに極楽浄土があり、阿弥陀仏がいらっしゃる
そこに私たちは、すでに生きているのです
リンゴが赤くなり、花が咲き、雑草がのびて、鳥が飛ぶ、夕日が沈む
その同列に、私たちも生きている、生かされているのです。

暮らしに活かす仏教 その1〜全5回シリーズ〜

昨年の大雪で、8号線が何日にも渡り沢山の車が立ち往生しました
いいニュースと悪いニュースが聞こえてきました。
いいニュースは、大阪に沢山あるチェーン店の店長が、社長に直訴して、車を動かせないドライバーに暖かい食べ物を振る舞ったそうです。
悪いニュースは、雪をどけて車を動かす手伝いをする若者二人組がいたそうですが、手間賃としてお金を無理に請求して回っていたそうです。

どちらも「こうしよう!」という信念に基づいて行動を起こしたはずです。
私たちの信念とは揺らぐものです
私も、一人の時に「こうするぞ!文句を言ってやるぞ!」と決意しても、相手の顔色を見た瞬間に変更しちゃうこともあります。もう信念はグラグラです。

揺らぎやすい信念ですが、何を指標にすればいいか…
それは、「親が喜んでくれるかどうか」です!!
もっと言えば「神仏がどう思ってくださるか?ご先祖様がどう思ってくださるか?」

親が「ああ、育てた甲斐があったね」と思ってくれるような生き方
これが大切だと思います。
(私自身がそうですが)親にいまだに素直になれていません。
でも、言葉で取り繕うより、寡黙であったとしても
「親が誇りに思ってくれるような」事
「親が恥ずかしく思わないような」事を行うようにするべきではないでしょうか?

もし親が亡くなっていれば尚更です。
魂になられたご先祖は、向こう側の世界からしっかりとこっちを見てくださっています。
いいことをすれば喜び、悪いことをすれば悲しまれている
きっと、その感覚は私たち自身、しっかりと感じているはずです。

それがためには、神仏に手を合わせ、自分の心を露わにして、曇りや汚れが無いか、気がかりが無いかを点検する必要があります。
「手を合わせて拝むくらい、何の効果もないよ」って思われる方のいらっしゃると思います
しかし、何とも不思議なことが起きます。
拝めば拝むほど、そんな空気に触れれば触れるほど、心が整うのです。
それが、信仰の功徳です。
正しい心と生活を導いてくださるのが、神仏です。そしてご先祖様なのです。

生みの親は二人 育ての親は無量

育ての親は無限大に広がります。
先生・友人・上司・後輩・子供・テレビ・書籍・・・夕日・太陽・災害・お月様・・・
自分が思い込んで作り上げた「常識」という枠を広げてくれるものは、全て「育ての親」です。

ある時、祖父がお勤めの時に読んでいた、過去帳を見つけました。
戯れに読んでみようと開きますと、びっしりと沢山の戒名が書かれていました。
師匠、兄弟弟子、お世話になった方、関わったことのある方であろう、僧侶の名前
祖父は戦前に弟子入りしていましたので、自分の家族の名前
学校の先生、戦友が書かれていたのにも驚きましたが、更に驚いたのは
自分の奥さん(私の祖母)の家族の戒名、自分の息子の奥さん(私の母親)の家族の戒名まで書かれていたのです。

すこしでも関わったことがある人がお亡くなりになると、戒名を書き入れて供養を行っていたのでしょう。

そんな過去帳をみながら、祖父の生き方の示されている気がしました。
いただいた恩に報いるためには、その人がどう思ってくださるか、どんな生き方・考え方をしていたか、今の自分の生き方はその方々に褒めていただけるか、恥ずかしくないかを日々のお勤めの中で、常に考えていたのではないでしょうか。
沢山の恩を受けて今の自分があるのだから、それくらいのことを考えて生きていきなさい、と声なき声で諭されて気がしました。

亡くなった方々の生き方・考え方を思い、供養を通して自分自身の幸せは生き方を考えてみましょう

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プロフィール

だいもんてつじ

Author:だいもんてつじ
大門哲爾。浄土宗僧侶。37歳。三児の父。副住職。
趣味は、歌、ギター、ウクレレ、マラソン(フル3時間23分)、読書。
ソロアルバム「蝶々結び」、「太陽の父ちゃん」、「mmcd」、「おつきさま」、「おばあちゃんのせなか」など。

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