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だいもんてつじのみなよろし!                  ~越前大野のお坊さんブログ~

浄土宗寺院善導寺の副住職。父として、ミュージシャンとして、ランナーとして、僧侶として、ふるさとを愛するものとして、子供たちに恥ずかしくない「日本」を残したいものとして、日々をつづります。

2018-12

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息子に学ぶ

息子にいろいろと考えさせられます。
私の子供のころをトレースしているような。

だから、腹立てても仕方ない。
「(私の息子らしく)ひろとしらしいな~」と、唸るというか納得するというか・・・

初めて歯医者に行った息子。
乳歯から永久歯に生え変わる時期、虫歯にもなりやすいようです。
加えて、学校の友達の家に遊びに行くようになり、親の目の届かないところ、子供の申告を信じるしかないところでのおやつの量が格段に増えました。
しかも、「小学生になったら、仕上げ磨きはしなくていい」という息子に従っていたら、奥歯に大きな虫歯が!!
お世話になっている歯医者は、若いやさしい先生なので、第一回目は、器具の説明
削る機械、吸う機械と、音はでかいが大丈夫って練習で終わります。

そんな話を聞いていたら、ふと、子供のころの思い出がフィードバック。
虫歯が多くて、歯医者と歯磨きが嫌いで、さらに虫歯が増えての悪循環に陥っていた私。
痛い治療の歯医者が、大嫌いで、「一人で行ってくる」と嘘をついて、歯医者に行かず、「行ってきた、もう治療はおしまいって言われてた」とまで言ったことも。
我ながら、ひどかったなと、思い出したのです。

息子もしかねないな(笑)

あと一つ。
ゲームをたくさん持っている友達がいて、よく遊びに行っています。
そのお母さんが心配して話してくれたのですが、「ひろとしくんにゲームをさせていいですか?」と。
家では、DSやらゲームの類いは買い与えてないので、そこに行かないとできないから、この時ばかりはと楽しんでいるのでしょう。
ゲームが目的で、そのこと時間を共有できていないのが、申し訳ないなと思ったのですが・・・

そういえば、私もそうでした。
息子の友人の叔父さんが、実は私の同級生。
家も近いし、お寺同士。
ゲーム持ってた!
私もゲーム目的で遊びに行ってた(笑)
あの頃は、ドラクエとかビックリマンチョコとかが流行っていた時代。
ゲームも、みんなでっていうより、一人の人がやるのを観戦するってものでしたから、私はあまりはまりませんでした。

これからも、息子の「何やってんだか」って行動を見るたび、自分の事を思い出すのでしょう。

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お米の中の神様

唄うお坊さんでいろんなところでお話をさせていただきます。

福井県内でも大野市内でも。

最近、土地の神様のお導きをよく受けている気がします。

いつもお年寄りにする質問でこんな事があります。
「ここらへんのお米には、何人神様が入ってらっしゃいますか?」

子供のころに言われませんでしたか?
「お米の中には〇人神様が入ったらっしゃるんだから、残しちゃいけません!!」

地元の大野で聞いてみると、「八十八人」です。
先日、市外で聞いてみたら、「三人」。
「八人」ってところもありました。

おそらく、お百姓さんの手間がそれだけかかっているとか、大地自然の恵みが「神様」として宿っていらっしゃるのでしょう。

大野の人に聞くと、神様の数が多い!っていうのは、なんだか誇らしい気分にさせてくれます。

きっと都会に行くと、神様の人数よりも値段が大事になってくるのでしょう。

癇癪

頭にかっと来るタイプです。

お風呂場での出来事
湯船につかり、30数えて上がる時、大好きなお兄ちゃんと上がろうと、一生懸命数える弟
しかし、弟の数え方が気に食わない兄
ちゃんと数えなあかんやん!リョースケはズルー!はい、卑怯!
というような言葉を並べて、自分も30までバーッと数えて上がろうとします。
上がるだけならまだしも、弟の体を突き飛ばし、乱暴に上がり、ドアも乱暴に閉めて出ていく兄。

小学校一年生の兄は、体も頭も4歳の弟よりは成長しています。
そりゃ当然。
でも、兄にしたら弟の至らないところが気に入らない。
力と頭で、ぎゃふんと言わせたがる。
そこが、私は引っかかるし、兄にはもっと優しくなってほしい。

相手の気持ちを顧みず、自分本位の性格だと、弟はおろか、ほかのお友達ともうまくやれないんじゃないか?
親として、その不安がずっっっっっっと付きまとうのです。

で、そんな思いが一瞬でぐるぐるっとなって、頭に血が上りぶちっと来た私は、手元にあったイスを乱暴に閉め、未だ兄のシルエットが浮かぶ風呂のドアに投げつけました。

そしたら、ドアのプラスチックの部分が割れ、いびつな形の窓ができてしまいました。
後悔先に立たず、怒りは自分に返ってくる、やってしまった自分に情けなくなることこの上なし
弟は私の隣につかりながら、「おとうさん、こわい」とポツリ。
妻も何事かと駆け付ける、「あーまたあの人が癇癪起こしたんや」と素早く察知、何も言わない。

ガムテープで応急処置。冷えて行く体では、自分への戒めには足りません
妻が、兄に私の気持ちを代弁してくれていました。

兄は、こんな父親をやっぱり怖いと思うでしょう
そして、感情的になることはフツーということをこの背中から学び、物に当たったり乱暴な言葉を使うようになるのでしょうか・・・

妻にしみじみ、「あなたのその性格は誰ゆずりなんでしょう?」と聞かれました。
残念ながら、というか幸いにも家族にそんなことをする人は、いません。
私のみの性格です。子供のころから、自傷行為をするような子でした。

なんども直そう、心に余裕を持とう、子供の教育に悪い、そのうち事件を起こしても致し方ないと言い聞かせているのですが。

とくに自分の子供、特に長男に対してはすぐ癇癪を起してしまうのです。

能舞台

久しぶりにライブをしました。
法話会ではない、ライブ。

能舞台でライブ

まあ、それでも僧侶の格好でやりましたが。
月一で開催されている、home town liveに読んでいただきました。
ここは、こけら落としにラブサイケデリコがやった舞台!実際は、これの前に設置される舞台でしたが。

前に元ルーズドックス前田一平さんとタカハシケンジさんの二人がやられていました。
さすがのプロ!
僕自身、若さの勢いだけで、基本をすっ飛ばすという寸法で音楽をしている気になっていたので、
唄とギターの技術にほれぼれしながら、見せていただきました。

私は、舞台に飲み込まれないように気を付けていたのですが、ちょっとした怪奇現象が(笑)
リハーサル通りにセッティングして、さてやりましょうって段でなんと、スピーカーがハウリングを起こし始めました。
どこで出力が上がるのか?
メモリ式のボリュームつまみなら2,3メモリは上げたような音量で、返ってきていました。
PAさんもびっくり?何が起こってるの?と、目を白黒させていました。

今回のライブでは「もうもうさん」という、善導寺に長くいるといわれている妖怪の歌を歌いました。
夜早く寝ないと、やってくるぞって。
悪いことしたら、連れていかれるぞって。
大好きなディレイを挟みながら、空間を音で歪めてやろう、ずらしてやろうって試みたのです。
あと「トイレ以外の神様」という、これも土地神様の唄を披露。

PAさんいわく、「もうもうさんがやってきたんですよ」とのこと。
いわれて、納得、そうかもしれないな~と感じました。
能の演目には、霊の類がよく登場します。
舞台という空間も、一種特別な空気が漂っているでしょう。
プラス・モア・僧侶!
で、グワァーンとなったんでしょう。

セットリストはこんな感じでした。
1.田舎者
2.手紙のあて先
3.お墓参り
4.もうもうさん
5.トイレ以外の神様
6.おばあちゃんのせなか
7.おおのじかん

しかし近頃は、譜面台は立てているものの、客席に視線を送れるようになってきた
ようやく、コードが頭に入ってきた(おそっ!)、いいことだ!

大人の寺子屋 「死」を考え語る

普段、口にすることが憚れるテーマで寺子屋を開催しました。

死を扱いなれている、というと語弊がありますが、世間の中では死に対しては免疫がある職業が私の職業です。
しかし、「死ぬ」類のことを口にすると「な~にそんなこと言ってんの?!」、「まだまだよ~」って片づけてしまうことが、多い気がします。
お寺で積極的に語れないのなら、ちょっと異常だなと思い、開催に至りました。

この頃は私の法話を一方的に話していくのではなくて、参加者同士が車座になってお互い話、シェアリングをするスタイルでやっています。その中に、仏教的な考えが必要になれば短く話す。今回はそれを「シェアリング茶話会」と名付けて行いました。(自分としてはいいネーミングなのですが、そんなに反応はありませんでした(笑))

参加者のお話しされた内容をまとめてみます。

・認知症になって死んでいく人と突然死んでいく人はどっちがいいのだろうか?
・死に際のあの仕草は、来迎だったのか?
・死ぬことは考えなくてもいい、今を目いっぱい楽しむことが大事
・死んでも魂が続いていく、死の間際に悔いが残らないように今を生きる
・祖母が死んだとき、鈴の音がした。祖母が亡くなったとき首が痛くなった。そんなことあるの?
・近親者でも泣けない人がいる(準備に追われるから、悲しむ暇がない、じゃなくても涙が出ない)、私は冷たいの?
・友人や犬の死のほうが、いつまでも悲しい、涙が出る
・思い出すのが供養
・死はそんなに悪いものではない。魂が今までもこれからも続く。

言葉の羅列だと伝わりませんが、皆さんそれぞれの想いを言葉にされていました。書ききれず表しきれない、貴重な時間でした。

死という感じは、横たわった白骨の傍らでひざまずく象形文字だそうです。私たちが「死」を思うとき、それは自分の死ではなくて、誰かの死を経験したときの自分の想いでしかありません。
涙が止まらないのも、亡くなった人の想いを想像して、「まだやりたいことがあったろうに、残念だった。やってあげたいことがあった。」と後悔の念がそうされるのでしょう。

ほかの人も辛いんだから、考えても仕方ないんだからと一蹴されるような死に関することを語り、受け入れる寺子屋でのシェアリング茶話会は、とてもいい時間でした。

答えを出さない、まとめない。そのままを聞き受け入れる。
話せてよかった。

そんな聞く耳を持つお寺を目指します。

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プロフィール

だいもんてつじ

Author:だいもんてつじ
大門哲爾。浄土宗僧侶。37歳。三児の父。副住職。
趣味は、歌、ギター、ウクレレ、マラソン(フル3時間23分)、読書。
ソロアルバム「蝶々結び」、「太陽の父ちゃん」、「mmcd」、「おつきさま」、「おばあちゃんのせなか」など。

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