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だいもんてつじのみなよろし!                  ~越前大野のお坊さんブログ~

浄土宗寺院善導寺の副住職。父として、ミュージシャンとして、ランナーとして、僧侶として、ふるさとを愛するものとして、子供たちに恥ずかしくない「日本」を残したいものとして、日々をつづります。

2018-11

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大人の寺子屋 「死」を考え語る

普段、口にすることが憚れるテーマで寺子屋を開催しました。

死を扱いなれている、というと語弊がありますが、世間の中では死に対しては免疫がある職業が私の職業です。
しかし、「死ぬ」類のことを口にすると「な~にそんなこと言ってんの?!」、「まだまだよ~」って片づけてしまうことが、多い気がします。
お寺で積極的に語れないのなら、ちょっと異常だなと思い、開催に至りました。

この頃は私の法話を一方的に話していくのではなくて、参加者同士が車座になってお互い話、シェアリングをするスタイルでやっています。その中に、仏教的な考えが必要になれば短く話す。今回はそれを「シェアリング茶話会」と名付けて行いました。(自分としてはいいネーミングなのですが、そんなに反応はありませんでした(笑))

参加者のお話しされた内容をまとめてみます。

・認知症になって死んでいく人と突然死んでいく人はどっちがいいのだろうか?
・死に際のあの仕草は、来迎だったのか?
・死ぬことは考えなくてもいい、今を目いっぱい楽しむことが大事
・死んでも魂が続いていく、死の間際に悔いが残らないように今を生きる
・祖母が死んだとき、鈴の音がした。祖母が亡くなったとき首が痛くなった。そんなことあるの?
・近親者でも泣けない人がいる(準備に追われるから、悲しむ暇がない、じゃなくても涙が出ない)、私は冷たいの?
・友人や犬の死のほうが、いつまでも悲しい、涙が出る
・思い出すのが供養
・死はそんなに悪いものではない。魂が今までもこれからも続く。

言葉の羅列だと伝わりませんが、皆さんそれぞれの想いを言葉にされていました。書ききれず表しきれない、貴重な時間でした。

死という感じは、横たわった白骨の傍らでひざまずく象形文字だそうです。私たちが「死」を思うとき、それは自分の死ではなくて、誰かの死を経験したときの自分の想いでしかありません。
涙が止まらないのも、亡くなった人の想いを想像して、「まだやりたいことがあったろうに、残念だった。やってあげたいことがあった。」と後悔の念がそうされるのでしょう。

ほかの人も辛いんだから、考えても仕方ないんだからと一蹴されるような死に関することを語り、受け入れる寺子屋でのシェアリング茶話会は、とてもいい時間でした。

答えを出さない、まとめない。そのままを聞き受け入れる。
話せてよかった。

そんな聞く耳を持つお寺を目指します。
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プロフィール

だいもんてつじ

Author:だいもんてつじ
大門哲爾。浄土宗僧侶。37歳。三児の父。副住職。
趣味は、歌、ギター、ウクレレ、マラソン(フル3時間23分)、読書。
ソロアルバム「蝶々結び」、「太陽の父ちゃん」、「mmcd」、「おつきさま」、「おばあちゃんのせなか」など。

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